こんばんは。くまごろうです。
今回は村上春樹氏の「騎士団長殺し―第2部 遷ろうメタファー編(上)」です。
なお、前作「騎士団長殺し 第1部: 顕れるイデア編(下)」も良ければご覧下さい。
印象に残った文章
ここからは、本書を読んでみて印象に残った文章と、その文章に対しての感想なんかを書いています。
なお、本書を読むまで秘密のままにしたいという方は、ここで一旦引き返していただければと思います。
「今日は先生は何も描かなかった」とまりえは言った。「そういう日もある」と私は言った。「時間が奪っていくものもあれば、時間が与えてくれるものもある。時間を味方につけることが大事な仕事になる」
投資の世界、特に中長期投資の世界では「時間を味方につける」ことが重要といったことをよく耳にします。どうやら画家(アーティスト)と投資家は通ずる部分が相応にあるようです。
ちなみに主人公が秋川まりえの肖像画を描こうとするこの場面では、開始早々、主人公は秋川まりえの肖像画を(物理的に)描くことをあきらめます。そして、会話の中から秋川まりえの核となるものを吸収しようと切り替えます。
投資においても、売ったり買ったりと頻繁に取引するよりも、現金のまま何もしない場面や、値動きの乏しい期間であっても何もしない(保有を継続する)場面に多々出くわします。
絵画の世界でも投資の世界でも、その業界で食っていくには、時間が自身の味方についていることを認識し、(傍からみると)何もしないという判断を下せるかが重要なのかもしれません。
「私は五十四歳になりました。私の生きてきた業界にあっては、ばりばりの現役でいるには歳を取りすぎていますし、伝説になるにはまだ少し若すぎます。だからこうして、とくに何もせずにぶらぶらしているようなわけです」「中には若くして伝説になる人もいるみたいですが」「もちろんそういう人たちも少しはいます。しかし若くして伝説になることのメリットはほとんど何もありません。というか、私に言わせればそれは一種の悪夢でさえあります。いったんそうなってしまうと、長い余生を自らの伝説をなぞりながら生きていくしかないし、それくらい退屈な人生はありませんからね」
私の考え方が歪んでいるのか、ここでは、伝説となった後の余生が短いことを肯定しているように読めました。例えば、伝説的な人気を誇ったまま、亡くなったアーティストというのは多くの人々の記憶に深く残っています。
一方、伝説的な人気を誇り、その後引退し、指導者や裏方として活躍される方もいますが、前者の伝説性とは異なっているように見受けられます。
後輩の指導や業界の発展に寄与されていたりと、一般的な心象としては文句の付けようがなく素晴らしいのですが、情熱(パッション)というか熱量(エネルギー)というかを感じにくくなってしまうのが原因でしょうか。
おわりに
この他にも主人公と騎士団長とのイデアについての会話、友人雨田との自由であることの証明についての会話、近所に住む免色との物事の捉え方(ここだけひと言にまとめるのが難しい・・・)との会話なんかも心に残る箇所が多々ありましたが、自分の力量ではうまく文章化できないため、あとは皆さまの想像力と文章力にお任せして今回は終了にしたいと思います。
次は「騎士団長殺し―第2部 遷ろうメタファー編(下)」になりますので、興味がある方はぜひご覧下さい。
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