
こんばんは。くまごろうです。
今回は村上春樹氏の「騎士団長殺し 第1部: 顕れるイデア編(下)」です。
なお、前作「騎士団長殺し 第1部: 顕れるイデア編(上)」も良ければご覧下さい。
印象に残った文章
ここからは、本書を読んでみて印象に残った文章と、その文章に対しての感想なんかを書いています。
なお、本書を読むまで秘密のままにしたいという方は、ここで一旦引き返していただければと思います。
「好奇心というのは常にリスクを含んでいるものです。リスクをまったく引き受けずに好奇心を満たすことはできません。好奇心が殺すのは何も猫だけじゃありません」
投資をしている身としては、リターンを得るためには相応のリスクを負わなければいけないということは認識していましたが、「好奇心」という感情にもリスクとリターンが内包されているという考え方は今までしたことがなかったため、面白い観点だなと思いました。
ちなみに最後の「好奇心が殺すのは何も猫だけじゃありません」は、前後の文脈を踏まえてもよくわかりませんでした・・・
閉めたドアの前に立ってしばらく耳を澄ませていたが、もう鈴の音は聞こえ なかった。何の音も聞こえなかった。ただ沈黙が聞こえるだけだ。沈黙が聞こえる──それは言葉の遊びではない。孤立した山の上では、沈黙にも音はあるのだ。
「沈黙が聞こえる」こういった独特な表現はすごく好きです。音楽にも休符という表現方法がありますが、「無」というものを再認識させてくれるのはさすがですね。
「大事なのは無から何かを創りあげることではあらない。諸君のやるべきはむしろ、今そこにあるものの中から、正しいものを見つけ出すことなのだ」
何もない空間からダイヤを作るのではなく、ダイヤの原石を探し出すようなことでしょうか。同じ本を読んでも、知識や経験がある人の方が、そうでない人よりもより多くのものを吸収できるとかなんとか聞いたことがありますが、自分の持つ知識や経験を総動員して、「正しいもの」とやらをうまく見つけ出すことができるからでしょうか。
「・・・『 秋川まりえは自分の実の娘かもしれない』という可能性を心に抱いたまま、これからの人生を生きていこうと私は考えています。私は彼女の成長を、一定の距離を置いたところから見守っていくことでしょう。それで十分です。たとえ彼女が実の娘であるとわかっても、私はまず幸福にはなれません。 喪失がより痛切なものになるだけでしょう。そしてもし彼女が自分の実の娘では ないとわかったら、それはそれで、別の意味で私の失望は深いものになります。あるいは心が挫けてしまうかもしれない。どちらに転んでも、好ましい結果が生まれる見込みはありません。・・・
<中略>
「私は揺らぎのない真実よりはむしろ、揺らぎの余地のある可能性を選択します。その揺らぎに我が身を委ねることを選びます。あなたはそれを不自然なことだと思いますか?」
この本の中で最も印象に残った箇所。
0か1か、白か黒か、人間であればはっきりさせたいというものと思ってましたが、確かに「揺らぎの余地のある可能性」が心地良いものもあるのかもしれません。
例えは少し違うかもしれませんが、仲の良い男女のグループ内で異性として興味を持つ女性(もしくは男性)がいた場合、告白をすることによって恋人になる可能性よりも、告白をせずに仲の良い友達という関係性を維持しつつ、相手が自分に好意を持っている可能性を感じている方がある種の幸せを感じるのと似ているのかもしれません。
それにしても、物語の中でこういった示唆に富んだ表現を取り込みつつも、物語としても成立し、そして何よりも読みやすい文章としてまとめあげる村上春樹氏には脱帽ですね。
次は「騎士団長殺し―第2部 遷ろうメタファー編(上)」になりますので、興味がある方はぜひご覧下さい。
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