こんばんは。くまごろうです。
今回は村上春樹氏の「騎士団長殺し 第1部: 顕れるイデア編(上)」です。
印象に残った文章
ここからは、本書を読んでみて印象に残った文章と、その文章に対しての感想なんかを書いています。
なお、本書を読むまで秘密のままにしたいという方は、ここで一旦引き返していただければと思います。
ユズはしばらく黙っていた。それから言った。「このあいだ、あなたが出てくる夢を見た」 どんな夢だったのか、私は尋ねなかった。彼女の夢の中に出てきた私のことを、私はべつに知りたいとは思わなかった。だから彼女もその夢の話はもうしなかった。
詳しい話をしてしまうとネタバレになってしまいますが、「騎士団長殺し」シリーズを全て読み終わった後と、前とでは受け取り方が大きく変わるので、「騎士団長殺し」シリーズを全て読み終わった方はぜひもう一度、はじめから読んでみて下さい。
成功を収めたあとの人生というのは往々にして退屈なものだ。
この文章を読んだ時、すぐにトルストイ作「アンナ・カレーニナ」の有名な「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」という言葉が浮かびました。
村上春樹氏は作中の会話の中で様々な作家の作品に触れることが多く、ロシア文豪のドストエフスキーは作中にも何度か登場するのですが、ロシア文学の巨匠トルストイにも少なからなず影響を受けているのでしょう。
なぜ、本文が印象に残ったかというと、トルストイの「陽+多様性なし、陰+多様性あり」の前者にフォーカスし、より短い「陽+多様性なし」で表現しているためです。
というのも勘のいい人であれば、「陽+多様性なし」から「陰+多様性あり」を同時にイメージすることができるため、文章を短くしつつ、かつ示唆を与える表現でもあるからです。
ちなみに「陰+多様性あり」は「失意のうちに終わった人生というものは、波乱万丈なものだ」でしょうか。
遠くから見ればおおかたのものごとは美しく見える。
「隣の芝生は青く見える」ではないですが、ものごととの距離とそのものごとへの認識は反比例しているのでしょう。本文は自分自身への戒めのためにも記憶に留めておきたい文章です。
妹が亡くなったあとしばらく、私は熱心に彼女の絵を描いた。彼女の顔を忘れないために自分の記憶の中にあるその顔を、いろんな角度からスケッチブックに再現していった。もちろん妹の顔を忘れたりするわけはない。私は死ぬまで彼女の顔を忘れられないだろう。しかしそれはそれとして私が求めていたのは、 その時点の私が記憶している彼女の顔を忘れないことだった。そしてそのためには、それを形として具体的に描き残しておくことが必要だった。私はまだ十五歳で、記憶についても絵についても時間の流れ方についても、多くを知らなかった。しかし現在の記憶をそのままのかたちで残しておくためには、何らかの方策を講じなくてはならないということだけはわかっていた。それは放っておけば、やがてどこかに消えてしまうだろう。その記憶がどれほど鮮やかなものであれ、時間の力はそれにも増して強力なものなのだ。私にはそのことが本能的にわかっていたのだと思う。
本書を含め、「騎士団長殺し」シリーズでは「時間」に関する記述が多く見受けられましたが、村上春樹氏は何か時間に対する影響を受けたのでしょうか。考え過ぎかもしれませんが、自身の健康や作家人生を歩むに当たって残りの時間を意識しているのでなければと願うばかりです。
さて本文に戻ります。
本文からは、亡くなった妹の記憶について、時間の経過とともに忘れてしまうことへの恐怖が窺えます。しかし、よく読んでみると、恐怖や恐れといった表現は使われておらず、むしろ「妹の顔を忘れたりするわけはない」「私は死ぬまで彼女の顔を忘れられないだろう」といった表現が使われています。
そもそも、私たちの頭の中では記憶と時間という言葉は密接に関連付けられており、時間の経過=記憶の衰退という関係式が無意識のうちに刷り込まれているのです。そのため、「時間の流れ」や「時間の力」という表現を用いることで、間接的に当時の妹の記憶をなくすことへの恐怖を表現しているのです。
ちなみに「やがてどこかに消えてしまうだろう」という表現がありますが、これは風が吹けば枝が揺れる、火をつけると明るくなる、と同じであくまで記憶の性質を表現しているのであって、恐怖といった感情とは直接的には関連していないと解釈しています。
静寂が私の目を覚ました。
目を覚ましてしまうほどの静けさ、しかも違和感を感じるくらい絶対的な静けさがひしひしと伝わってきます。たった10文字ほどの文章で、ここまで臨場感にあふれる表現は、残念ながら私にはできません。
物語を楽しみながら、こういった表現を見つけた時のワクワク感があるからこそ、村上春樹氏の作品は中毒性があるかもしれません。
次は「騎士団長殺し 第1部: 顕れるイデア編(下)」になりますので、興味がある方はぜひご覧下さい。
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